201405

感動の無責任

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足立喜一郎氏のHPの写真から。 

彫刻の森の美術館のひとつにあった光のアート。
1メートル以上の大きなミラーボールの幾何学のオブジェが自転し、
違う角度の光に反射し、四方の壁に光の粉が駆け巡る。
「ミーツ・アート 森の玉手箱展」の展示 by 足立喜一郎。

微妙な形のしかけが光の速度を変え、
言葉では説明できなくて、
そこがまたとっても感動でありまして、
しばらくそこにいました。

http://kichon.com/

こんなおもしろいものないわぁ、ってきょろきょろして、どきどきしてたんです。
でもあっさりと去るお客様もいるようでした。
私がどんなに感動しても、
他の人がするとは限りません。
他の人にとっては、ただのミラーボールかもしれないし、
美しく映らないかもしれないし、
退屈なだけかもしれない。

アートはそんな不確かな価値評価のなか、
いき続ける。

だからする側としては、せめて確かなテクニックと確かな思考で価値をつくってみたくなる。
      (そして時にはテクニックも思考も無視した価値をつくってみたくなる。)
だから見る側としては、せめて確かなテクニックと確かな思考の価値をすくってみたくなる。
      (そして時にはテクニックも思考も無視した価値をく救ってみたくなる。)


アートは価値に対してはるかに無責任。
感動も無責任。感動、するときゃする。
考えて損しました。森をぶらぶらとゆくのでありました。

結局、感動のあるものをつくろうとするとき、
あたしはシアターの仕事ですが
自分の作品に感動したとしたら、たぶん私みたいに思う人が数人はいるだろうっていう憶測でつくってみます。
万人が感動する条件というのはあるかもしれないけれど、
無責任なのはアートもシアターも同じで、条件をみたしても裏切られる可能性はあります。、
そこがおもしろくてやめられない、、、のです。
そんな思いがめぐって、彫刻の森をわくわくしながら歩いて
楽しくてしかたなく、誰彼となくだきしめて、ありがとう~って言いたくなるのでした。




日本の子ども図書館

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上野の国際子ども図書館へ調べ物にいって、あまりにも気に入って、3日間も通いました。

子ども図書館ですから、子どもの図書、絵本、そしてその資料が2階にあり、3階はホールになってます。安藤忠雄事務所の建築デザイン。全体に広々として、幼稚園児のグループが走り回ってはりました。
ほんでもってこの絵本の部屋も、丸いのをいいことに、幼稚園児のグループがぐるぐる走り回ってる。
座って本を読んでるのはほんの数人。あとは全員といっていいくらい、走る&走る。

壁にそって小さな子ども用の小さな椅子が小さく並んでおり、
162センチを丸めて座する私は、まるでガリバー。
走るのを急にストップして3人の女の子達、その窮屈げなガリバーをじっと見てのたまう。

「おとなのほんはないのにどうしてここにいるの?」
「あのね、あたし、じつはこどもなの」と、しょーもないことを言う私。
「じゃ、いっしょにあそぼ」
「本が読みたいからやだ」と言い切る私。
「あとでよめばいいのに」
「あとじゃだめ」と言い訳の私。
「どうしてだめなの?」
「なんでそんな事聞くの?」と言い返す私: 質問を質問で返す=ひつこい子どもとの会話を終わらせる手段→それは効果テキメン。3人娘は「ミッキーのほんをさがそー」と宣言して走り去った。

それにしてもこの幼稚園児達、図書館を走り回っていいのか?
図書館のおにいさんは知らんふりだし、せんせいも何も言わない。

私がようちえんの頃、図書館がこんなにいい遊び場だったら、もっと本が好きになったかもしれない。

本は静かに読むものと決めつけているけど、
うるさく走る合間にちょいと見たっていいかもしれない。
子ども図書館なら、それでいいかもしれない。

あの3人娘はやがて走り尽きて本を開いている。他の20人ほどの幼稚園児も、いつの間にか、すわって絵本をぺらぺらめくり始めていた。結局は自発的に全員が読書をするというエンディング。夢みるような感じだった。


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お昼になって幼稚園グループのせんせいが「帰るお時間ですよ~」、と声をかけると、3人娘があと3人をぞろぞろと連れ、わざわざ私のところまできて、まん丸のおめめで合唱。
「さ、ようううう、ん、なぁ、らっ」

礼儀正しいやんかぁ~
はいよくできました。ガリバーはお別れのあいさつの後、
2階の資料室に移動し、さらに楽しい図書体験をするのでした。


日本の自然2 ハナミズキ

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この花ははなに?


ハナミズキ。

ハナミズキ、、なんて美しい響きの名前だろう。

ハナミズキ、、、調べてみると、

ミズキ科(水を多く吸い上げる木)で花を多く咲かせるので、この名前になったそうな。
華奢な色合いに日本を思うけれど、実はアメリカの木。
1912年に当時東京市長の尾崎行雄がワシントンに日米親善のために、さくらを贈り、お返しに受け取ったのがDogwoodで、のちのハナミズキ名づけられた。

木が固いことから、キリストの十字架に使われたという。そんな罪深き人間達のうらみを覆すように、Dogwoodは今も花を咲かせる。日本であろうとアメリカであろうと、ハナミズキは季節と水と土が合えばタフに生きる。

ハナミズキ、どんなに華奢に見えても、そのタフさが立派に思える。

どんなにたたかれてもへこまない
どんなに傷ついてもすりきれない
どんなに喪失にも泣かない

そんなタフさを忘れてはならないような気がして、
ひ弱な私は
ハナミズキを見上げる。




日本の自然

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日本に3週間、法要や雑用のため行ってきました。
5月のつつじで彩りの晩春と、
4月中旬の桜散る頃でした。

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毎度の言い訳ですが、出発前日まで仕事でまともな用意せず、だぁ~っと飛行機に飛び乗るの巻。
おのぼりさんは、九州、四国、大阪、東京、栃木を廻りました。

旅行中、一等感動したのが日本の自然。
大阪の下町育ちはこんな美しい自然を知らずに大人になったような気がします。
もしくは、あったんだけど、ゴム飛びと漫画が人生の全てだったので
自然なんか知らん、かったのでしょうか。。。

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上の写真は瀬戸内海の浜。
行く先々で、
写真におさまりきらない広大な美しい山や森や海があり、
写真におさまりきらない地元の人々の絶え間ない生活があり、

私はその営みのほんの断片を記憶にしまって、
どこもここももう一度来たい場所となりました。