名前

header with butterfly small8_edited-1

header color white logo

name logo kanji

「クーヌコ、本当はクーニコなんだろ、今までずっと間違えて発音してたよ。ごめんな。もっと早くに言ってくれよー。もう10年以上、間違って呼んでたことになるじゃないかぁ」

ブラジル人の友達のアントニオが目を丸くして言う。一緒にトニー・モンタナロ師匠のもとで、マイムを勉強した兄弟弟子。初めて会ったころ、アントニオはほんの18歳で、拙い英語を駆使して私の名前を発音すると、クーヌコ、となった。以来それでいい。そしてそれが彼らしくていい響きだったりする。それが私達の歴史だったりする。だからなおさないで、っていった。

アメリカ人の友達はほとんどが発音よろしく、クニコ、と呼ぶ。きちんと発音したくて、何度も何度も練習したがる友達もいた。その気持ちはすごく嬉しい。アメリカ人にとって、クニコというサウンドはふたつになる、クニー、コ、または、ク、ニコ。だからどうしても日本らしいサウンドにはならない。時々、全く発音できないアメリカ人は、「ココなら言えるから、そう呼ばせて」なぁんてのたまう。ココってかわいいやんか、シャネルやんか、ええやんか、そう呼んで、ってことになる。要するに、私はあまり自分の名前に執着はない。

日本で、大学時代の友達がクンチャン、と呼ぶと、楽しくてほろ苦い昔がよみがえる。
クンチャンと呼ぶのは母と大学時代の友達だけ。日本と私を結んでくれる人達とのつながりは、クンチャン、と呼ばれることで感傷じゃない現実として、たくさん実感できる。自分を見失う時は、自分のルーツである過去に頼るしかない時があって、この実感は私にとって尊いことであります。

中学時代、あまりにもの大食いで、食いこ、と呼ばれたことがあったっけ。
ちっちゃい時、宿敵の悪ガキどもからウンチンって呼ばれたことがあり、その度くってかかって、けんかが強くなった。今でもその連中は私のことを、くにこ、と呼び捨てるので、私はひろしをヒロスボケナスと呼び、さとしをサトチンチン、しゅんじはシュンペーと呼ぶ。ザマーミロだ。(← 大人になってもいうかぁ、とかなりヒンシュク、でも言い続けるあたし。)


さっき自分の名前にし執着はない、と書いたけれど、
自分の名前を呼ばれるのはすごく好きです。
で、これは誰でもそうなのだそうです。
自分の名前が呼ばれるときに、幸せを感じるドーパミンホルモンが脳内から出るのだそうです。
不思議です。
自分の名前を呼ばれる=私であることを確認、ってことになり、幸せなのでしょうか。
自分の名前を呼ばれる=自分へ注目と関心が集中する、ってことになり幸せなのでしょうか。

誰もが周りからよく思われたいし、
注目だってあびたい、大事にされたい、って思っていると思います。
誰かの名前を呼ぶ時は、用事があるとかが理由だったりするけど、
同時にそこにいてくれてありがとう、って気持ちをこめたいなぁ、と思う。
尊敬する人や愛する人の名前を呼ぶ感動はさておき、
そこに今いてくれるあなたは今を共有する何より大切な人であり、
あなたの名前を口にすることは、少なくてもあなたを知っているということで、
何かのつながりがあると思いたい。
そしてそのつながりはかけがえのないものだったりする。

RRRR、あ、℡だ。
「もしもし、えーと、えーと、クニーク、、ヤムートッ と話したいのですが、、、」

あはは、クニークかよ、、、


















Related Entries