感動の無責任

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足立喜一郎氏のHPの写真から。 

彫刻の森の美術館のひとつにあった光のアート。
1メートル以上の大きなミラーボールの幾何学のオブジェが自転し、
違う角度の光に反射し、四方の壁に光の粉が駆け巡る。
「ミーツ・アート 森の玉手箱展」の展示 by 足立喜一郎。

微妙な形のしかけが光の速度を変え、
言葉では説明できなくて、
そこがまたとっても感動でありまして、
しばらくそこにいました。

http://kichon.com/

こんなおもしろいものないわぁ、ってきょろきょろして、どきどきしてたんです。
でもあっさりと去るお客様もいるようでした。
私がどんなに感動しても、
他の人がするとは限りません。
他の人にとっては、ただのミラーボールかもしれないし、
美しく映らないかもしれないし、
退屈なだけかもしれない。

アートはそんな不確かな価値評価のなか、
いき続ける。

だからする側としては、せめて確かなテクニックと確かな思考で価値をつくってみたくなる。
      (そして時にはテクニックも思考も無視した価値をつくってみたくなる。)
だから見る側としては、せめて確かなテクニックと確かな思考の価値をすくってみたくなる。
      (そして時にはテクニックも思考も無視した価値をく救ってみたくなる。)


アートは価値に対してはるかに無責任。
感動も無責任。感動、するときゃする。
考えて損しました。森をぶらぶらとゆくのでありました。

結局、感動のあるものをつくろうとするとき、
あたしはシアターの仕事ですが
自分の作品に感動したとしたら、たぶん私みたいに思う人が数人はいるだろうっていう憶測でつくってみます。
万人が感動する条件というのはあるかもしれないけれど、
無責任なのはアートもシアターも同じで、条件をみたしても裏切られる可能性はあります。、
そこがおもしろくてやめられない、、、のです。
そんな思いがめぐって、彫刻の森をわくわくしながら歩いて
楽しくてしかたなく、誰彼となくだきしめて、ありがとう~って言いたくなるのでした。




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